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今日、葛西へ行った

東京マラソンという「都」が推しているイヴェントがあった。それはそれで、私の範疇では無いけれど生き甲斐に感じて頑張っている人達がいるワケだから自由にやって下さいと思う。

本日、私は会社の仲間が「ある重大な病」で入院し、そして大きな手術を終えて面会出来るようになったので、社の有志仲間とやっとお見舞いに行けることに相成ったのです。葛西の病院だったので葛西臨海公園駅で集合して病院に向かった。

「彼」は元気だった・・・というか恐ろしいほどの手術、そして術後の試練を経て「達観」したような表情になっていました。もともとクールなクリエーターのイメージがあって良い意味での孤高な感じがしていた人だったのだが・・・なんだろうなあ、生まれ変わろうとしている意志を感じたのです。本当に辛い「時」を過ごしたのだろうと察します。生命に係わる大手術であったのですから。

煙草も止めたい・・・そして本日開催されている「東京マラソン」を目指してみたい。彼は純粋な面立ちでつとつとと語った。幾許かの「辛さ」が彼の胸の内にあったのだろうか。「生」に対峙して立ちあがろうとする同僚の友に鬼気迫る意気を肌で感じたのです。

お見舞いを終えて、仲間を私の車に乗せて東京方面へと走った。有明を通る。高架上では、ビッグサイトへ向けて最終ランナーに近い人達が必死に向かっている姿が見えた。懸命に目標に精進する姿は大好きだし感動する。

東京マラソンに関しては、その純粋な想いよりも「参加するステータス」に重きが置かれてマスコミも煽るし、特に東京内に於いては「セレブ」的な人間の場にも成りつつある。本来ある「マラトン」の伝説こそ想い馳せるべきものでは?と感じてしまいます。

大きな生死に係わる手術を通り越した彼・・・「東京マラソン」を走れるようになりたい!どうか、主催側にはそういった純粋な想いを今後も大事にして「大会」の本意を今一度考えて欲しいと懇願します。
author:Hitoshi Minowa, category:-, 21:47
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京谷和幸さん
 感動の想いしかない。そして私達の愚行の贖罪とは改めて向き合うべきだと思う。

何時も購読している「TARZAN」という本がある。音楽のコラム的なものがあって、著名な方々が「自らを支えてくれた音」を紹介する場があるのです。

其処に、京谷さんの記述があった・・・読んでいる最中より涙が溢れてしまいました。タイトルが「AMBITIOUS」だったから。何ということなのでしょう。

もし彼への認識が無いのであれば「京谷」という名で調べて頂きたい。どれだけ、神様は人を「試す」のだろうか、試練を課すのであろうか・・・自らの所在を見つめ再度立ちあがった「彼」、幾許の苦労と努力があったのか・・・平平凡凡と生きている私なんぞには語る術もありません。

そんな、彼を支えたのがDOGの音楽だったとは・・・本当に申し訳ない、そして自らを責める!其処までに「一人の人間」の人生の転機を支えて来たとは。彼の想いにあった「音」を私達は汚してしまったのです。いや、彼だけでは無い。如何に沢山の人たちの「想い」を踏みにじったことか・・・

私が言う「贖罪」とは正しく其処なのです。勝手に沢山の「言葉と音の発信」をしておきながら、勝手な都合でバンドを閉じた。閉じることは誰も願っていなかったが「そう」なった。責務は心の奥から対峙して「6人ひとりひとり」が負うべきであると痛感する。

3月でデビューより30年が過ぎることとなる。年月の数字なんぞ、どうでもイイことなんです。記念でも何でも無い、今更。現実というのは、そういった厳しいものであるし「冷静」に己の場を見極めなければいけないと思う。

心より想いを託し、そして応援してくれて「音」を口ずさんでくれた沢山の人達・・・私は本来ならば「葬り去る」べきと自らに託していたものを今一度見直す必要があるのかも知れません。京谷さんの、余りにも純粋なDOGの音楽への気持ちに私は今、いろんな複雑な思いに駆られています。
author:Hitoshi Minowa, category:-, 00:27
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「凛」

以前も書いたことあるけれど、JUNGAPOPというバンドは何故か私の人生の転機であったりとか、私が落ち込んで打ちひしがれてどうしようも無い時に、LIVEの日程が奇遇にも訪れる。未だ、不思議で且つ解明しきれない事なんです。

「仲間」そして「友」・・・「家族」、人が生き得ている中で、これ以上のものは存在するのでありましょうか。私は昨晩、至上のひと時を仲間、そして応援して下さる方々と分かち合った。「夢の時間」でありました。

あまりにも人生は沢山の試練が存在する。でも、その中に「決して忘れてはいけないもの」を伝えてくれる人達が居ます。昨晩のLIVEは忘れかけていた・・・というよりも自らが「忘れさせよう」としていた意識が身体の奥底から滲み出てきた。ゾーンに入った空間・・・久しぶりの感覚であった。

一介の会社員として私は今現在「誇り」を持って働いています。自分一人なんぞの為だったら、別に必死こかないで今頃「野たれ死んで」いるだろう。自分でも良く理解出来る。守るもの、私が存在している恩義へのもの・・・「生かされている」こと・・・多分、それがあるから今日も生きたのだろう。

昨晩のLIVE・・・全員が不調和なような中で見事に音として、そして仲間のグルーブとして「凛」としていた。後で弾いていて涙が出て鳥肌が立つ・・・その場にしか存在しない「音」との闘いをお互いに昇華出来得た時しか生まれ得ない「至福」の時が訪れたのです。予定調和の音楽も素晴らしいかも知れないが其処に「胡坐」をかく者が仮にいたとしたら・・・それはオーディエンスに幾許たる虚偽を演じているということになる。避けたいものだ・・・

「凛」・・・キムヨナ選手にそれをまざまざと見させて貰いました。「金」メダルは、その到達に選ばれし者を神が選択するということを・・・・完全で完璧な努力と苦労の上に、さらに鉄壁の現場の「神の力」そして「現場を惹きつける力」が働かねばいけないとうことを・・・

私なんぞ「屁」みたいなものだ。けれど「凛」は感じることが出来た。仲間、心から信頼できる家族、友・・・心底から「人間はひとりではない」と実感出来たら、オリンピックの理念と共に「人」は成長を続けて行くのかも知れませんね。
author:Hitoshi Minowa, category:-, 23:17
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「藍ちゃん」の健闘!
 以前も勝手に記したけれど、私は宮里藍ちゃんのゴルフに向き合う姿の大FANである。場所はタイであったが歴然としたUSAツアーの試合で優勝した!嬉しいばかりであります。

最近、「またか」と思われるけれども、とにかくシンドイ・・・7時台の電車で通勤し、約一時間の超満員の試練に耐えて出社して直ぐに作業に入る。帰りも一緒だ。会社の仲間といる時はとても刺激もあり楽しいし、何より「同じ目標」に向かっている充実感が支えてくれている。感謝ばかり・・・なのですが。

しかしながら・・・考えたくないんだけれども身体が追いつかないのです。「自分は若い」なんて思ったことは一切無い。歳相応だと感じているしね・・・問題は何時まで自らを支えられるか、という事か。

オヤジはそんな事しか無いのか、とか言われても仕方無いけれど・・・ずっと応援していた藍ちゃんの優勝は私にとってはオリンピックどころではなく嬉しかったのです。朝、駅の朝刊売り場に名前が見えたとき「元気」が出てしまった私がいました。

スポーツって凄いと思う。どれだけの人達に「明日へのチカラ」を与えるのだろうか。もっぱら私はソノ元気を何とか貰いたい立場に生きている。だからこそ、「たかがゴルフ」では無いのだ。

どの世界でも浮き沈みは存在する。しかし、スポーツの素晴らしいところは「結果」が出せることだ。音楽には結果というのは「売上」にしか表現されない。しかしながら、其処に勝利というものが存在しない。メーターや数値で出せない世界だから面倒なのだと思う。だから、私は正直に結果が出るスポーツが素晴らしいと思ってしまうのです。

困難と努力、そして持って生まれた資質を生かせた者だけが勝者となれる簡潔な世界だ。

藍ちゃんは、幾多の苦難の道のりと途方もない尽力の上に、「結果」を据えた。イチFANのしょうもない端くれとして、「力」を頂いた感謝と、その精神力に尊敬を込めさせていただきたいと思います。
author:Hitoshi Minowa, category:-, 21:56
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宮城県石巻市
 私が「生」を受けた場所であるし、全ての根本が其処にあるような大好きな街であります。

仙台は、勿論いろんな私の素養的な青春の勉強をさせて貰ったが、何故なのか「石巻」という街が大好きで今もそれは変わることが無い。仙台がプチ東京化の道を市民も含めて辿っているのは「良い」面もあるが淋しい現実も存在する。決定的な「地方文化」が他の東北五県に比べて薄いのが、ある意味象徴しているかも知れない。そういった意味でも宮城第二の街と言われて来た石巻は、心の寄せ処であったりするのです。

そんな、大好きな街で・・・何とも表現し難い「事件」が起きた。それも、年齢的に「若い」どころか年歯も行かない人間が殺傷を起こした。事由の根本は、それこそ当事者の「執着心」しかとらえどころが無いであろう。でも何で殺すんだ・・・理解に苦しみます。

「田舎」という言葉、表現が大好きだ。1980年にデビューしたが、正しく出稼ぎそのものであった。方言は文化だと私は信じてやまない。しかし、東京の業界では、ひたすら「田舎モノ」は卑下され方言のイントネーションだけでバカにされる。徹底的に、その時代は自らの素養を変革させて「他の人」に生まれ変わる努力をせねば「笑い物」になるだけだった。

私は、東北、宮城、そして石巻に産まれ仙台で素養を育んだことを心から誇りに今でも思っている。当時の沢山の労苦はいろんな場であった・・・関西人、九州、四国・・・いろんな人間が存在するのに、こと東京では東北人は存在を目下に置かれてきた。でも、そこで成り立っている世界に飛び込んだのだから従う術を学ばねば明日は無かったということだ。

そんな、心の拠り所である「石巻」で凄惨な事件が起きた。最近、本当にいろんな事で辛く悩んでばかりの日々だったが、人の想いに助けられて日々這いつくばって来た。そんな中で、その地元がニュースで報道された、今は、ただただショックと落ち込みばかりで辛いのです。田舎は何時も、憧憬の中で美しく素晴らしいものであって欲しい・・・心から二度とこういった事件と被害者が生まれないことを切に願います。
author:Hitoshi Minowa, category:-, 22:26
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何にせよ良い仲間だ♪(#^ー゚)v

昨晩、JUNGAPOPのメンバーの皆様、今年になって始めての全員集合と相成った。本当に皆がそれぞれの立場でいろんな忙しさがあって、なかなか顔を揃えるというのはほぼ困難なことなのです。

こうして写真を観ると「よくも続いているなあ」(笑)と実感してしまう。かくいう私も、会社員として働いている中にメンバーにスケジュールに調整やらで何時も迷惑ばかりかけていて心は痛いのですね。そういった意味でよくも「クビ」にならず居ることが出来ていると不思議チャンでありんす。メンバーには感謝しきりです。

ともかく、LIVE自体が私は今年マジに少ないので2月25日の高円寺でのJUNGAPOPでの演奏は気合い入れて頑張りたいと思います!プラス、初心である「夢の場所」を大事に・・・大事にね♪♪
author:Hitoshi Minowa, category:-, 09:08
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